« モッズブーム | トップページ | ナチュラル »

2005年12月21日 (水)

バックボーン

2 背骨。じゃないですよ、バックボーンつまり「礎」みたいなことです。これってすごく大切な気がします。何をするにせよ、僕は多くのバックボーンをもっている方が良いと考えます。だから、色々なことに手を出します。勿論、それ自体が楽しいからということもありますが……。でもそれは重要なことだと思います。僕は、礎とは経験の蓄積によって成り立つものだと感じていますが、どうなのでしょう。

 例えば、絵。例えば、歌。例えば、服。例えば、文学。何でも人は感動することが出来ます、そして感動させることが出来ます。そしてそれを目指す人はたくさんいます。誰かを感動させてみたい、そんな想いを持った人が。かく言う僕も、そう想っている一人です。いつでもそういう視点を持って、物事を考え、しているつもりです。感動と幸せ。けれどそれは、口で言うほど簡単ではない、否、簡単な訳が無い。

 人間が感動するときとは、どういう時でしょうか。それはやはり何か「人間らしいもの」に触れた時ではないか、と。人間の儚さ、強さ、無力さ、希望、限界、輝き、そんな感じの。上手くは言葉では言い表せない「何か」、それが「人間らしい」時、僕らは感動するのではないでしょうか。あるいは、圧倒的な感情。それが流れ込んできた時(それが己から発されたものであろうと、他からの享受であろうと)、感動を覚える。あらがいようのない「オーラ」のようなもの。

 感動=幸せなわけでは勿論ないです。不幸せな感動だって、ある。そう、幸せのない感動はあるのだ。それは致し方ない現実として。しかし、しかしだ。僕は「感動のない幸せ」はありえないと思っています。感動は幸せへの一部なのではないかと。だから、人を幸せにするのが困難なように、人を感動させることも難しい。

 僕は、思います。画家が絵だけをずっと描き続けても、歌手がずっと歌ばかり考え続けても、デザイナーが服だけを見続けても、小説家が小説ばかり読み続けても、人を感動させるモノはできない、と。画家には生活を味わう気持ちも必要だし、歌手は歌以外を楽しむことも必要で、デザイナーは人や周りを見ることも必要で、小説家も活字以外を飲み込む必要がある。オンリーワンでなく、必要なものはたくさんある。そういう風に。

 つまりは、人は多くのことを経験し、多くのバックボーンがないと、他者を感動させることなど出来ないと思うのです。専門以外の「何か」を知らなければ。その「何か」が無いと専門はうすっぺらい、単に技術の表面だけなぞった、いわば「はりぼて」にしかなり得ない。だから、僕は色々なことに手を出します。そして多くを学びます。忙しいですけど、面倒くさいこともありますけど。それもまた、一興。

 なんだか意味不明な文章になりましたが、そんな日もありますやね。哲学モードというか。本当はもっと考えているし、全然書き足りないけれど。でもそんな不十分なものでも、書きたい時がある、残したい時がある。そういうことですね。

 さて画像は、マルクスさんをちょちょいといじりましたが、意味はありません。なんとなく良い画像を模索していただけで……。自分で言うのもアレですけど、結構面白いコンセプトの画像になりましたね。内容を反映したと言うか、うん。

 感動と幸せ。最近、感動しましたか? 幸せ感じましたか? そんなことをふと想った、今夜でした。     circus

|

« モッズブーム | トップページ | ナチュラル »

「philosophy」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/11130/132157

この記事へのトラックバック一覧です: バックボーン:

« モッズブーム | トップページ | ナチュラル »