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2005年12月30日 (金)

サルバドール・ダリ

Photo  以前の、てか最初の記事(マークロスコのとき)にも書きましたが、僕の三大画家の一人が「サルバドール・ダリ」です。シュールレアリズム(超現実主義)を語る上では欠かすことの出来ない人なのですが、実は細かいことはよく知りません。けれど、この人の作品は本当に大好きです。不思議と心が惹きつけられます。どんな長い時間でも見ていられます、飽きずに。

 「ダブル・イメージ」のいうべき、多くのイメージを一つの絵の中に落とし込んでいく手法は、目を見張るものがありますが、そんなダリの最も有名な作品といえば、やはり『記憶の固執』でしょう。カマンベールチーズのイメージがこの絵の原点らしいのですが(確かに時計が柔らかい感じはするけれど)、謎です。そのイメージに、どうして僕はこれほどまでに惹き付けられるのか……。正直、ダリが作品について言っていることの意味は、全然分からないのですが、なにやらこの絵の中に「何か」があるのが伝わってきます。それはもしかしたら、孤独であり柔和であり、持続性でありエロスであり、リアリスティックであり虚無であるかも知れません。……それは巧く言葉で表せないのですが。

Dali170 もちろん上記のように、僕は『記憶の固執』に対してもやはり強く興味を持ちましたが、それはダリのどの作品においても同じことです。例えば『燃える麒麟』のあの畏怖の感じとか、『眠り』の顔?とか、『ナルシスの変貌』や『果てしない謎』におけるダブル・イメージ(多重主題とでも言うのでしょうか)などにも、強く興味を持ったし、自分なりに想いもあるのです。

 けれど、そんな中で最も僕がグッときたのが『パン籠』です。ダリはパンと籠の絵を他にも書いていて、そのもう一つのほうも悪く無いのですが、特にこちらの「恥辱よりは死を!」という副題の付いたパン籠が好きです。

 この絵のパンも籠も机も、とてもうまい。それは技術的な意味で。けれど、ただただリアルな感じに技術的に上手い絵ならば、他にもある。ならば、なぜこのパン籠に惹かれるか……わからないです。とにかく見入ってしまう。それぞれの配置のバランスがいいのかも知れない、バックの色合いがいいのかもしれない、それとも籠の網目の幅がいいのかも知れない、そんな風にいろいろ考えたこともありました。意味ありそうなことから、意味のなさそうな次元のことまで。でも、わかりません。きっと、考えてわかるものでもないのでしょう。

 なんかやっぱりこのような芸術的なものを僕が考えると、ぐにゃぐにゃした良く分からない、結果の出ないゆるーい哲学みたいになっちゃうのですが、……最近はそれでいいかなと思っています。結論なんて出るもんじゃないです芸術とか己の好みなんて。でも考えることは大切だと思いますね、自分を見つめなおしたり、芸術を見つめなおす意味で。その作業なしに、己の成長など望めない気がしますから。無論、芸術面の成長も。

 なんて言ってますが、たぶん誰にでも「言葉に出来ない想いのあること」みたいなのは、あると思うのです。何かしら、大きかろうと小さかろうと。それ、大切です。形あるものだけが素晴らしいわけじゃない、想いも素晴らしいもんです。ぐちゃぐちゃでも、端正でも、幼くても、渋くても、浅はかでも、深くとも。何でもいいのです。ソレを自分が分かっていれば、見つめていれば、そして考えていれば。どうでしょう?

 なんか、ダリの話から、僕の考え方に話が移っちゃいましたが、ダリをはじめ刺激を受けるモノや人を見ていると、そういうことを思う気分になってしまうってことですよね。ま、特別良くも無いけど、決して悪くない。ちなみにダリのことは、「サルヴァスタイル」さんで前からよく勉強させていただいてました。ダリいいなって思った人は必見です。ほかにもいろんな画家さんが載っているので、面白いですよ。

 それにしても眠いです。やはり寝ていないのは厳しいです。明日で今年も終わってしまいますが、こんなんでいいのでしょうか……。いや、明日はある意味楽しみたいです、一年最後の日ってことで。まずは、部屋を片付けます……。

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