philosophy

2007年12月12日 (水)

フラット

 さて。一昨年のこの日から数えて、丸二年。つまりは、このブログも二周年を迎えることが出来ました。一時の休止期間はあれど、基本的には不思議なくらいのハイペースで更新をしてきたと思います。記事数は、632。二年間にしては随分多いようにも、思えます。様々な意味で苦しいことはあれど、概ね楽しく素晴らしいブログ生活でした。

 二周年、見てくれている方、本当にありがとうございます。かなり初期から見てくれている方、絡ませてもらっている方、最近見てくれるようになった方、たまたま今日見てくれている方、総ての方々に感謝です。訪問者数もピーク時はかなりのものになりました。500はザラでしたし、ヒット数だけでいえば4桁も普通にありました。更新を重ねるごとにそういう変化があるのは、やはり嬉しいものでした。

 突然ですが、今日でこのブログは終了します。

 この前の休止うんぬんではなく、終了します。理由は幾つもあります。でもそれらは、結局僕の中の葛藤でしかないので、特に語るべきことではありませんけれど。

 モノを中心に据えてきたこのブログは、非常に楽しいものでした、個人的に。同じ趣向を持っている方々の声を聞けたり、あるいはさらに面白い何かを発見させてくれたり。勿論、このブログを終えたからといって、僕の生活からモノ好きという方向性が消えることはありません。ただ、そういう発展性を持ちうる可能性が狭まるのは、少し寂しくもあります。

 きっとモノ好きであり、文章好きであり、紹介したがりであり、とある夢を持っている僕なので、近いうちか遠いうちか分かりませんが、いずれはまたブログという形か、なんたる形かで似たような生活を作るとは思います。しかしながら、この場でのブログを続けることは、今度は確実になく。完全に、終了です。

 リンクをさせてもらっていた皆様、よくコメントを下さった皆様、本当に、本当に有難うございました。今の僕があるのは、ある種そういった方々のおかげによるものです。オーバーではなく、ごくごく純粋な想いで。

 とりあえず、今年いっぱいこのブログはこのまま公開状態にしておきたいと思っています。ブログ自体も手を加えることもあると思います。いきなり総ての記事をなくすのは、いろいろとフェアじゃないので。その後は基本的に非公開の状態で、残していきます。このブログは、僕の毎日のようなものだったので。

 何卒、よろしくお願い致します。

 復活することがあるとしたら、ココログとかではなくもっと狭い感じになると思いますが、その時にまた今見てくれている方々に出会えたら、なんて素晴らしいだろうか、と思います。そんな折には、また宜しくお願い致します。まるっきり、予定はありませんが。

 それでは。また、いつか。

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2007年3月21日 (水)

大いなる影響力

Dsc02195 更新が滞って申し訳ないです。長年勤めたアルバイトを辞めるにあたり、本当に感謝してもしきれないように、送別会を開いていただきました。懐かしい人達もいたり、パワフルな人達もいたり、その場で触れ合うことはほとんどない人もいたりしましたが、紛れもなく、僕らは同じ空間にいて、ある程度同じ気持ちを抱いて、十分にその意味と幸せを感じることが出来ました。こういうことは、素晴らしいことです。……僕は恵まれている人間です。

 そういうわけで、イロイロなモノまで頂いてしまいました。僕のことを考えてくれたモノであったり、美味しいモノであったり、リラックスできるモノだったり、最高に面白いモノだったりしました。その中で、恐ろしく感動してしまったのがコレです。……えーと、許可なく書いているけれど、いいかな。

 頂いたのは写真集。どうやら、古屋誠一さんの展覧会の際に作られたものでしょうか。「ちょうど展覧会もやってるんですよ」と言っていたので。今日になって、しっかり見させてもらいました。「写真集とかには好みが多分にあるので……」ということを仰っていましたが……十分に刺激を受けられます。先入観を一切排除するために、前置きの文章などは無視してまずは見てみました。

 無論、総てが総て好みなのか、と問われると果たしてそれに100パーセントでイエスと答えることは出来ないのかもしれません。けれど、やはり幾つもの写真にハッとさせられるものを感じたり、息を飲んでしまうような瞬間がありました。それは好き嫌いとは別次元の話なのかもしれません、僕にとっては。僕の場合、たとえ好きな画家や写真家であろうと、その人の作品を総て盲目的に絶賛してしまうような人間ではないので。しかしながら、確実にこの写真家には写真集には、何かがある。それを感じます。

 この写真集は、「本当に近いのだけれど遠い感覚」、あるいは「届いていて手の中にあるのだけれど何処か違う空間にソレが浮遊してしまっている感覚」、ひいては「心が温まる瞬間にそびえる、ひそやかな冷たさや寂しさ」、もしくは「目の前に確かに存在するものの絶対的な儚さ」……そういう空気が感じられました。笑顔満面で見る写真集ではないのだろうけれど、僕は結構気に入りました。せっかくなので展覧会も見てみたいところですが、いかんせん今やっているのはちょっと遠いトコロみたいなので、それがいささか残念です。

Dsc02196 感動してしまったのは写真集によるものだけではありません。その、パッケージ。画像にあるような紙に包んでくれていたのですが、これがお手製。古い雑誌のページを剥ぎ取り、ランダムな感じに、けれどどことなく整然とされるように貼り付けてあります。そして上に乗っている匙と共に黒の麻紐で結ばれていました。……麻紐からは良い香りがしていましたし。

 この作業は、感動します。「こういうことが好きなんですよ」とは言っていたけれど、それはともかく嬉しさが大きい。それはたぶん、僕自身も何かを創ることに魅力を感じていることもあるだろうし、モノを創る時に込める想い―この包みには僅かかもしれないけれど―というものの、大切さや暖かさを知っているからでしょう。

Dsc02197 ちなみに僕も、多くの仲間とお別れする際に様々な人に感謝のしるしのモノを、手渡したのですが、その中で数人の方には、自らの手で作った包み布を使いました。ソレがコレ、まぁどのようにでも使ってくださいってことで。……この間、チェック&ストライプで買った麻布を使用、裏表ですね。急いでいたのはこのためなのです。あまりに急いで相当枚数を作ったので、こだわれるポイントも省略し、さらには雑な面も出てしまいましたが、想いはすごくこもっています。

 この写真集をくれた方には、すごい乱暴な形でこの布と飴を手渡す結果になってしまったので、その方がこの布に込められた想いを感じてくれていることはないかもしれません。それは明らかに僕の自業自得なわけですが。……少しでも、何かを想ってくれていると僕としてはすごく嬉しいけれど。

 この方は、尊敬できうる人です。なんというか、とてもしっかりしてらっしゃる。僕は非常に好感を持っています。前に書いた「ドイツの薬ビン」もこの方から頂いたし、「知人の大きな卒展―この方は写真―」というのもこの方。うーん、感嘆するしかない。……しかもね、好みがかなり近いみたいだから、なおさら。話していても、かなり彼女なりの考え方を持ち、かつそれを表現しようとし、その上でまた考えているのが伝わってきます。それが心地良い。僕は言葉で表現するのがヘタなので、余計にそう感じるのかもしれません。

 長くなりましたが、そういうことです。尊敬している人とは、たとえそれがいかなる形であれ、繋がっていられたら素晴らしいだろうなと想います、切実に。そうすることによって、僕も少しずつ成長できるのも確かですし。今の段階で、周りに数人そういう風に強く想う人がいますが、彼女はその筆頭です。……なんか、すごく個人的な更新になってるけれど、大丈夫かなコレ(笑)。

 それでは。長々と読んでくれた方、ありがとうございます。個人的な更新だけれど、想いという意味においてはすごく普遍的なことを語ったようにも思えます。いずれにせよ、何かを感じていただけたなら幸いです。二日分の想いがこもっているから、長くなってしまったのかなぁ。……ま、僕らしいといえば僕らしい。

 本日のカップ:三ツ矢サイダー・レモン。マジでこれにハマっているみたいです。近々、記事にもしてしまおうと思います。もう一つの名作と共に。うちにこのペットボトルがゴロゴロしてるのは、壮観です(笑)。     circus

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2006年12月31日 (日)

風に乗れたら

Dsc02080 今年ももう終わりです。年が明けたら、恒例の紅白評価なんてしたいですね、相当辛いですが(笑)。あ、もうひとつのブログ「想像と創造の空間」も最後の日ということで更新してみました。……アチラのブログは、真面目度がかなり高いですが、とても好きなので是非とも見てみてくださいね。記事は少ないですけれど。

 さて、総括も終わり、今年を振り返る時がきました。今年は、出会いの年。そのように、自分の中では初めから位置づけていた一年でしたが、本当に、その通りになりました。……これまでにはないほどに、出会いが重要な年。

 このブログでも再三言っているDIGAWELさんとの出会い、当然これも大きいものでした。しかし、それ以外にも、ごくごくプライベートにおいて、良い出会いはありました。ソレ相応に、自らをまた考え直すきっかけにもなったりして、とても大切な出会い。

 人生の中ではじめて、歴史上とか目上とかそういう類ではなく、現実における「純粋に尊敬できる人」に今年は出会いました。あんまり長い時間絡んだわけでもなく、向こう側としてはおそらくそんな影響を与えているとは思ってもいないでしょうし、僕が自ら勝手に一方的に、尊敬ボルテージを最大にしているだけではあるかもしれませんが。……それでも、身近でここまで尊敬できる人間がいたことに、オドロキは隠せませんでしたね。

 僕が、彼のような人間になろうとは、200パーセント思いません。なれるか、なれないかは別次元の問題として、です。……僕と彼では、役割が違う。それは日常においても、そもそもの存在を取ってしても。それは明らかに分かる。けれど、そんなことは関係なく、僕の中ではある種の完璧な人間として、尊敬しています、今。願わくば、もう少し彼とは絡んで、いろいろな刺激を受け吸収したいとは思っていますが、それほどに直接的な関係性ではないため、どうなるかはしれません。……ここまで現存する人間を尊敬したのは初めてです。戸惑いもありますが、いい意味で自分なりにその尊敬を消化できたら、どれだけ素晴らしいだろう、なんて想います、はい。

 ある種の幸せな出会いも、ありました。これから先どうなるのかは、全く分かりやしないし、なるようにしかならないとは思うけれど、真摯でありたいと決めてはいます。本質的に、浅はかで情けなくて、弱い人間の僕だからこそ、です。……ええ。

 人だけでなく、多くの出会いがありました。モノ、店、思考、場所、時間、夢。ここで総てを書き記すことは出来ませんが、その多くが、きっと僕のこれからに大きな影響を与えるであろうこと。ソレを想像してみる。悪くない。

 来年はきっと、今年の出会いから生まれる風が吹く。僕はとりあえず、風に乗れたら、それでいいと思っています。いろんなことを受け入れ、いろんなことを乗り越え、いろんなことを考え、最終的に何かに留まるかもしれないし、何かを失うかもしれない。でも、それでいいと思っています。……だから、わずかな光が見える、その先に向かっていこうとする風に、乗る。

 画像は、もうひとつのブログの方で更新をした、詩の書きとめです。字も殴り書きに近いし、紙そのものも汚れたりクシャクシャになってきています。いっつもこういう具合ですね、詩を書くときは。これでも随分と整然として書かれているほうですけれど。今年の終わりとして、とても重要な意味を持ちえるようになったモノなので、なんだか載せてみたくなりました。……来年以降、この歌を気持ちよく感じることが出来れば、これほどに嬉しいことはありませんね。

 長くなりましたが、それだけ良い出会いの年だったということでしょう。今年、このブログを知り、訪れてくださった皆様、そしてコメントまで下さった方々、本当にありがとうございました。来年も、ウダウダいいつつもそれなりに書いていくと思いますので、よろしくお願いいたします。あ、コメント渋っている方は気軽にしてくださいね(笑)。喜ぶので。

 それでは。夜中に年が明けたら、まずはじめに何をしようか、なんて考えています。くだらないことをいいかもしれないし、ギターを弾くのも悪くないし、コーヒーを淹れるのも良いかもしれない。でも、たぶん、一番良いのは、自分なりの大切な人を想うことなのだろうなぁ、なんて思います。そういう年のはじめ方も、すこぶる面白いし、感慨深いでしょう。……ね。

 本日のカップ:年越しそば。ま、そうでしょう、普通に。たとえお腹がイッパイだとしても、睡眠前の食事は身体に良くないとしても、食べるでしょう。伝統とは革新の繰り返し、なんていう文句もありますが、そんなことはどうだっていいんです。自分が気持ちよく、周りとも気持ちよく、一年を終え、一年を迎えられるようにする、そこに尽きるわけです。……人間、数十年しか生きられないわけで、それと同じ分しか、この瞬間はないわけですから。結構、スゴイ瞬間ですよ。     circus

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2006年12月11日 (月)

つながり

Photo_19 何かを大きく捉え違え、何かを大きく見失い、何かを大きく手にしようとしていたのかもしれません。勘違いもあれば、混乱もある。期待もあれば、不安もある。疑問もあれば、信頼もある。本来、こういう風に言葉にしてしまうのも、間違っている気はする。けれど、もういちいち面倒臭いことを考えるのは、やめ。……僕は、僕のやり方でやる。よく考えてみれば、今までそうしてきたはずだった、大事な時は。それでやる、それがいい。いつか、何かがわかる。思想の問題じゃなく、現実の問題。

 エッシャー展へ。サッと書くだけで終わります。すごく混んでいました。平日でこの様子では、休日は一体どんななのだろう、という感じ。しかも、ほとんどの客が音声ガイドを使っているため、動き方がオカシイ。……ガイドが無いところは妙に早いテンポで進み、あるところはやたらと立ち止まる。スルーです、そんなの。

 自分が長く見たいと思える作品の前では止まるし、逆もまた同じ。解説による細かいバックボーンを知ることは、確かに良い面も大いにあると思うけれど、とりあえず今の僕にはいらないのです。……もとより絵とか美術は好きでも、それらを論理的にどうこう言っているわけではないし。必要なのは、衝撃と感動。思考に食い込むイメージ。心に響き、胸を揺るがす声。

 感想を言うと、良い展覧会だと思います。作品の区分の仕方も納得できるし、見せ方も分かりやすい。直感的に楽しめるモノもあるし、じっくりと感じ取れるモノもある。明らかにそこには、時代を超越しうる感覚があるし、現代よりも現代たらしめる力もある。批判すべきポイントは、見当たりません。

 気になった作品もそこそこありますが、今回はそれは割愛。それぞれが、気になる作品に注目してみてください。先入観はいらない。大切なのは、そこから何かを得ようとする精神だけ。

 図録は買いました。あまりに、僕のある面の思考ルーティン(普段の思考ルーティンとはまるっきり別のものです。)に近いような印象をエッシャーからは受けてしまうので、手元に少しでもまとまった状態を置いておくことが良いことなのか悩みましたが、購入。

 以上です。エッシャー展。結構長い時間かかると思いきや、さほどでも無かったので、ゆっくり見て回るのが良いでしょうね。

 それでは。さて、眠りにつきます。そういえば今日の朝、ひとつの詩が書き終わりました。心の声を絞り出したような、印象。あるいは、失望の中に埋もれる希望を掘り出すような、印象。どちらにせよ、悪いもんじゃない。もう少し時が経った際に、この詩を心から歌うことが出来たなら、なんだかすごく幸せに想える。……そんな、歌。

 本日のカップ:いろいろ飲みましたが、本日割愛。ご勘弁。

 

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2006年3月19日 (日)

ハピネス

Photo_10 東京コレクションが始まっていますが、今となってはあんまり興味がありません。昔は東京コレクションもなかなか好きで、テレビなどで見たりしましたが……。中学生くらいのころ。アンダーカバーとかがまだ出ていたころですね。うーん、今は名前は有名なブランドがもちろんたくさん出ていますが、いかんせん覇気が無いですよね……。ドレスキャンプとか、元フラボアの宇津木さんのメルシーボークーとか、Nハリとか、雑誌などでは取り上げられるし、絶賛されたりするでしょうが……ちょっと、ね。まぁ、チェックは無論しますけれど。

 今日はまず頂いた漢字バトンを。こういうの初めてですが、まぁ何事も経験ですよ、うん。

1.自分を一字の漢字であらわすと:「僕」ですかね。「我」とか「己」とかも迷いますが……「僕」が一番しっくりきます。僕は基本的にワガママなので、何事も「僕」中心です。思考も、行動も、なにもかも。そういうことですね。

2.好きな漢字一字は:「幸」で。もうね、僕の人生のテーマは、コレです。コレに尽きます。「僕」が僕なりに「幸」になり、僕なりに誰かを「幸」にする。それは小学生くらいのころから思っていました。今でも、基本姿勢は変わりません。

3.去年は漢字一字で表すと:「幻」。何がなんだか分からず、あっという間に過ぎ去った一年でした。僕らしくできたかどうかも、イマイチ掴めませんでしたし。悪くない一年だった気はしますが、幾分現実感に欠けた気もします。

4.今年はどんな年にしたいですか:何事も「想」い、自分らしく「考」え、あらゆるモノを「創」り、多くの人、モノ、出来事を「尊」んでいきたいですね。毎年、こんな風には思いますが、今年は特にそう思います。

5.次にまわす人10人を漢字で例えると:回せません(笑)。我こそはという方、そして優しい方、もっていってください。

 漢字って難しいですね。一文字で表しているようで、なかなか思い通りのモノがありません。熟語なら、より伝わるんですけどね。熟語考えた、中国の人とかですかね、すげぇよって感じで。

 んで、バトンだけでは更新もアレなので、画像は今年の新製品。そうですね、スターバックスのフラペチーノ。バナナクリームフラペにバナナモカフラペ。ヤバイですよね、どう考えても美味しいに決まってます。うまい棒が本当にうまいくらいにガチな話です。だって、バナナにクリームですよ、東京バナナじゃないですか。バナナにモカ、チョコですよ、チョコバナナじゃないですか。今年の夏は、コレです。

 ただ、少々スターバックス、最近安易な方向に流れている気がします。単純というか、売れセンというか。別にいいのですけれど、もっと驚きのある何かをして欲しいですよね……本音。それでも好きなモンは好きではありますが。……日本に豆を焙煎する工場を作れよ、とは言いたいですけれど。

 スターバックスの豆は、生豆としては、最上級です、マジで。すっごいの使っています。普通のコーヒー豆屋では手に入れることすら出来ないレベルの生豆を、金と名前と安定性の力で手に入れています、買占めレベルで。有名な話ですけれどね。なのに、アメリカで焙煎して、いくらすぐにパックしているとはいえ時間が相当かかったモノが日本に来る。それでは、本当に美味しいコーヒーは入りません。淹れれば分かります。豆が、全然膨らまないのです、鮮度が落ちすぎて。だから日本で焙煎して、すぐ売って欲しい。そしたら、炒りもスターバックスのローストは良いので、最高のコーヒーが出来るのですけどねぇ……リアルな話。自分で焙煎するってのも、美味しいから良いのですが、大変ですからね。

 さてなんだかコーヒーのさわりを語りましたが、話すと長くなりますやね、もっと。人の影響を受けて、好きになったとはいえ、コーヒー大好きですから。まだまだ修行が物凄い足りないですけど、舌も腕も知識も。世の中のコーヒー嫌いの方は、本当に美味しいコーヒーを飲んだことないと思います。特に、苦いから嫌いとかいう方。本当に良いコーヒーは嫌なエグみ、苦味はありません。むしろ甘み、爽やかさ、コクが溢れています。初めてそういうコーヒーを飲んだとき、僕は感動して、コーヒー観が変わったものです。是非、美味しいのを飲んで、コーヒー好きになってほしいもんですね。それでも、好き嫌いはあるでしょうが(笑)。では。     circus

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2006年3月13日 (月)

100!!

Dsc00805 えー、日々の積み重ねとはスゴイものです。なんと、ブログ始めて3ヶ月ほどですが、今日のこの記事が記念すべき100件目の記事。くだらないことも交えながら、うだうだと進んできたブログですが、これからも自分なりに気持ちの良い文章、記事を書いていこうと思います。……いつも来て下さっている方、まだまだよろしくお願いしますね。

 ということで、もう少しその話を。このブログ、見てくださっている方はわかると思いますが、なかなかに実は語彙が少ないです。それは、僕がこのブログにふさわしい言葉達だけを、選んでいるからです。自分の理想に基づいて。もちろん、本当はもっと語彙を増やして語ったほうが、わかりやすい場合もあります。伝わる場合もあるかもしれません……けれど。もう、コレは美学の問題です、言葉に対する姿勢、文章に対する意志。ふさわしくない言葉は、絶対に、絶対に使いません。要するに、紳士であり、真摯でいたいのです。そしてシックに、クリエイティブに。自分なりのシステムとステップを、大切にしながら。……なんか村上春樹さんに影響受けすぎですが。とにかくそういうことなのです。ので、長々とこれからもなってしまうでしょうが、ご了承ください(笑)

 さて本日の記念モノは……クロゼットでのお買い物。エッセンシャルデザイン×ポーターのブリーチデニム・メッセンジャーバッグ。うーん、結局買ってしまいました。思いのほか生地が柔らかく、ブリーチ具合も強めでしたが、肩からかけたが最後、あまりにも春っぽかったので、我が家へ。

 それほどサイズは大きくありませんが、中にはポケットが二つと、ジップで分かれたポケットも一つがあるので、案外モノが入りそうです。とはいえ、実際にバッグ自体も軽く、雰囲気も軽いので、あんまりモノは入れないで持ちたいですね。必要程度に膨れるくらいで。んー、早く持ってあげたい。

 ブリーチが強めのせいか、周りの白いパイピング部まで若干毛羽立ったりしていますが、それもまた軽いイメージに一役。さわやかで素直に良いな、と思えるバッグですね。肩掛けバッグは、もう一つ買う予定がありますが、それとはまた違う味が楽しめて、活躍してくれそうです。

Dsc00802  色はこの色がちょい残ったブリーチと、もっと落としてほとんど白に近い極限ブリーチの二色。極限のほうも悪くはありませんでしたが、僕の雰囲気には全くそぐいませんでした。また、型はこのメッセンジャーの他、大きめのリュックに使いやすそうなボストン、いかにも女性サイズなミニトート、サイフ、小銭入れなどがありました。……中でも良かったのが、ミニトートに小銭入れ。トートは小さいですが、ポケットがたくさん付いていて、口がボタン留めなのが最高でした。女性は是非買って欲しいですね。小銭入れはかわった形で、なんとも表現難しいですが、カワイイ感じで値段もお手ごろ。

 結構売れているみたいで、既にメッセンジャーなどは数が少ない様子。気になる方は、急いだほうがいいかもしれません。エッセンシャルのポーターものは毎回出来が良く、使えます。特にデニムものは人気で、すぐ売切れてしまうので、注意です。そういえば、昔からずっと置いている、ナイロンの黒と白のトートがありますが、アレも当然持っていますがすごく重宝します。いくら乱暴に扱っても、びくともしません。……こちらも、実はおススメです。

 さて、今日は他にもいつものルートで回りましたが、代官山での収穫はコレと、またしても手ぬぐいだけ。オクラのレーヨンブラウスがステキでしたが、レーヨンはパスです、素材的に。ボンベイバザーでオクラそば―昔はそんなんなかったですよね、時代の流れを感じます―を食べましたが、良いです。基本は沖縄ソーキそばですが、出汁も肉も麺もなかなか。そしてそして、今日はちょいと素晴らしいモノも買いました、代官山ではないですけれど。これがねぇ……一目惚れ。明日載せますが、今のところ、今期一番のお気に入りです。

 では更新はまたも長く、このくらいで。ところで、こんなところでなんですが、僕はいずれ文章を書いて生きていきたいと思っています。そこで、まぁ万に一つもないでしょうが、もしブログ見てくださっている方で、なんか書かせてあげようじゃないか、なんて奇特な方がいらしたら、お願いいたします。……正直、なんでも書けます、基本。文体なども若干適したモノに変わったりします、基礎は同じですが。これからも定期的に言うので、なんかあったら、嬉しいし、面白いのですけど。ありましたらメールで。circus357@yahoo.co.jp へ。にしても、本当にブログとかできっかけがあったら、面白いですよね。難しいでしょうけど。僕自身、まだまだですしね。

 とにかく100。次は200目指して、日々精進です。     circus

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2006年1月17日 (火)

天才音楽

Photo_4 今日はモノマガジンのメガネ特集にフィーチャーしようと思っていましたが、良く考えたら新しいメガネを買ったわけでもないので、軽く感想で済ませようと思いました。……総じて、偏りが少なく、良く出来ていたと思います。メガネっこにもこれからメガネっこにも面白い感じと言うか。999.9やレスザンヒューマンには相変わらずひいきがありますが、それも控えめなので許せる範囲で。色々なものが機能ごとに載っていましたが、正直、白山ミクリしか買う気がおきません。……他のは全くオーラが出ていない気がして。

 さて立ち上がりモノネタは一休みして、音楽ネタ。画像は小沢健二さんの『刹那』です。すっごい売れてる中、隠居的な感じになり、いまやどうしているのかって風ですが、今年の3月にヴォーカルレスのアルバムを出すとか。……一応復活ということでしょうか。期待はしています。

 ところで、この『刹那』はアルバム未収録の名曲を、小沢健二さん自らが選曲して、リマスターしたいわばセルフカバーみたいなアルバム。中でも「流星ビバップ」は最高ですけれども、知っている曲ばかりだったので、物足りなさがあったのも事実……。なので、声なしとはいえ、新譜が出るのは嬉しいことですね。

 さて今でこそ、こんなに小沢健二が好きですが、昔は大嫌いでした。いえ、正確に言えば「本当は好きなのに、認めたくなかったために、わざと嫌おうとしていた」、というのが正しいです。小・中学生のころのことです。

 僕は昔、自分がかなりの天才だと思っていました。……今でもある面においてはそうだと思っていますが……いや異常な過信ってわけじゃなく、控えめな自信です。でも今と違い、当時の僕は自分が総てでした、自分が世の中だと思っていました。だから、天才肌な感じの才能とか、ほとんどの周りを認めようとしませんでした。恥ずべきことです。

 周りを認めないのは、簡単です。否定すればいい。けれど、ソレはくだらない行為だと気づいていませんでした。小沢健二さんのなめらかで力強い音楽には、恐ろしいほどの頭のよさに狡猾さ、才能が満ち溢れていました。当時の僕もそれは分かっていましたが、やはり認めようとしなかった。尊敬とか、そういう言葉を知らなかったような。

 つまりは「強さを手にしては振りかざして、栄光を飾っては驕り昂ぶって、尊さを知りながら嘲って……、弱さを目にしては蔑んで、絶望を語ってはこびへつらって、儚さを知りながらこだわって……」そんな風に生きていたわけです。愚かでした、浅はかでした、でもそれに気づいていませんでした。

 それから高校より先で、気づいたわけです。「あ、なんだ、くだらねぇ」と。「これまでの生活はなんか違うな」って。色々なことを経験して、傷ついて、考えて、……ようやく気づいたわけです。認めること、許すこと、尊敬することの大切さに。……そのときからは、総てを認められるようになって、多くを尊敬できるようになって、それなりに大切に出来るようになりました。そんな風に想える自分が、今は好きです。自分自身も尊敬できます。もちろんナルシス的な意味合いは一切なく、正直に。

 小沢健二さんの音楽もそうやって、尊敬できるようになった一つです。今は、その才能だとか、凡才なところとかも総てを受け入れられています。認める、許す、尊敬する。そういうことに気づけて、本当によかったです。それも、自分で感じて、自分で考え、自分で気づいた……それがすごく嬉しい。正しいかは知りませんけどね。なんか宗教っぽい言い回しですが、ちなみに僕は無宗教ですから。

 なんか訳わからん文章になってきましたが、要するに、「総てを同じように、見渡して、想えるようになった」ってことが嬉しいわけです。うーん、相変わらず、よくわからんですが。

 とにかくそんなこんなで、今の僕があるわけで、これからどうなるかは全く分からないけれど、自分を誇れるように生きたいなと思うのです。なんか、良いじゃないですか、そういう風に思いながら毎日生活するのも。……まぁ、そんなに重く考えてるわけでもないですけど(笑)。でも、考えることは楽しいし、そんな感じが悪くないと思えるので、歌とか詞、小説とかこのブログの文章とかで、表現していきたいですね。

 なんか、一回書いた文がPCのせいで消えてしまって、混乱している中かいているので、あまり良い文章にはなっていませんが、でも正直に書けた内容ですね、今日は。本当はもっと深く、もっと整然と、考えて書きたいですが、それは長くなるのでこの辺で。

 なんにせよ、小沢さんの新譜は期待して待ちます。「流星ビバップ」のインストもなかなかに良かったので、ヴォーカルレスでも良質でしょう、きっと。うーん、今日の更新、暗いですね。そんな日もあるってことで……。長文、終わり!!     circus

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2005年12月30日 (金)

サルバドール・ダリ

Photo  以前の、てか最初の記事(マークロスコのとき)にも書きましたが、僕の三大画家の一人が「サルバドール・ダリ」です。シュールレアリズム(超現実主義)を語る上では欠かすことの出来ない人なのですが、実は細かいことはよく知りません。けれど、この人の作品は本当に大好きです。不思議と心が惹きつけられます。どんな長い時間でも見ていられます、飽きずに。

 「ダブル・イメージ」のいうべき、多くのイメージを一つの絵の中に落とし込んでいく手法は、目を見張るものがありますが、そんなダリの最も有名な作品といえば、やはり『記憶の固執』でしょう。カマンベールチーズのイメージがこの絵の原点らしいのですが(確かに時計が柔らかい感じはするけれど)、謎です。そのイメージに、どうして僕はこれほどまでに惹き付けられるのか……。正直、ダリが作品について言っていることの意味は、全然分からないのですが、なにやらこの絵の中に「何か」があるのが伝わってきます。それはもしかしたら、孤独であり柔和であり、持続性でありエロスであり、リアリスティックであり虚無であるかも知れません。……それは巧く言葉で表せないのですが。

Dali170 もちろん上記のように、僕は『記憶の固執』に対してもやはり強く興味を持ちましたが、それはダリのどの作品においても同じことです。例えば『燃える麒麟』のあの畏怖の感じとか、『眠り』の顔?とか、『ナルシスの変貌』や『果てしない謎』におけるダブル・イメージ(多重主題とでも言うのでしょうか)などにも、強く興味を持ったし、自分なりに想いもあるのです。

 けれど、そんな中で最も僕がグッときたのが『パン籠』です。ダリはパンと籠の絵を他にも書いていて、そのもう一つのほうも悪く無いのですが、特にこちらの「恥辱よりは死を!」という副題の付いたパン籠が好きです。

 この絵のパンも籠も机も、とてもうまい。それは技術的な意味で。けれど、ただただリアルな感じに技術的に上手い絵ならば、他にもある。ならば、なぜこのパン籠に惹かれるか……わからないです。とにかく見入ってしまう。それぞれの配置のバランスがいいのかも知れない、バックの色合いがいいのかもしれない、それとも籠の網目の幅がいいのかも知れない、そんな風にいろいろ考えたこともありました。意味ありそうなことから、意味のなさそうな次元のことまで。でも、わかりません。きっと、考えてわかるものでもないのでしょう。

 なんかやっぱりこのような芸術的なものを僕が考えると、ぐにゃぐにゃした良く分からない、結果の出ないゆるーい哲学みたいになっちゃうのですが、……最近はそれでいいかなと思っています。結論なんて出るもんじゃないです芸術とか己の好みなんて。でも考えることは大切だと思いますね、自分を見つめなおしたり、芸術を見つめなおす意味で。その作業なしに、己の成長など望めない気がしますから。無論、芸術面の成長も。

 なんて言ってますが、たぶん誰にでも「言葉に出来ない想いのあること」みたいなのは、あると思うのです。何かしら、大きかろうと小さかろうと。それ、大切です。形あるものだけが素晴らしいわけじゃない、想いも素晴らしいもんです。ぐちゃぐちゃでも、端正でも、幼くても、渋くても、浅はかでも、深くとも。何でもいいのです。ソレを自分が分かっていれば、見つめていれば、そして考えていれば。どうでしょう?

 なんか、ダリの話から、僕の考え方に話が移っちゃいましたが、ダリをはじめ刺激を受けるモノや人を見ていると、そういうことを思う気分になってしまうってことですよね。ま、特別良くも無いけど、決して悪くない。ちなみにダリのことは、「サルヴァスタイル」さんで前からよく勉強させていただいてました。ダリいいなって思った人は必見です。ほかにもいろんな画家さんが載っているので、面白いですよ。

 それにしても眠いです。やはり寝ていないのは厳しいです。明日で今年も終わってしまいますが、こんなんでいいのでしょうか……。いや、明日はある意味楽しみたいです、一年最後の日ってことで。まずは、部屋を片付けます……。

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2005年12月21日 (水)

バックボーン

2 背骨。じゃないですよ、バックボーンつまり「礎」みたいなことです。これってすごく大切な気がします。何をするにせよ、僕は多くのバックボーンをもっている方が良いと考えます。だから、色々なことに手を出します。勿論、それ自体が楽しいからということもありますが……。でもそれは重要なことだと思います。僕は、礎とは経験の蓄積によって成り立つものだと感じていますが、どうなのでしょう。

 例えば、絵。例えば、歌。例えば、服。例えば、文学。何でも人は感動することが出来ます、そして感動させることが出来ます。そしてそれを目指す人はたくさんいます。誰かを感動させてみたい、そんな想いを持った人が。かく言う僕も、そう想っている一人です。いつでもそういう視点を持って、物事を考え、しているつもりです。感動と幸せ。けれどそれは、口で言うほど簡単ではない、否、簡単な訳が無い。

 人間が感動するときとは、どういう時でしょうか。それはやはり何か「人間らしいもの」に触れた時ではないか、と。人間の儚さ、強さ、無力さ、希望、限界、輝き、そんな感じの。上手くは言葉では言い表せない「何か」、それが「人間らしい」時、僕らは感動するのではないでしょうか。あるいは、圧倒的な感情。それが流れ込んできた時(それが己から発されたものであろうと、他からの享受であろうと)、感動を覚える。あらがいようのない「オーラ」のようなもの。

 感動=幸せなわけでは勿論ないです。不幸せな感動だって、ある。そう、幸せのない感動はあるのだ。それは致し方ない現実として。しかし、しかしだ。僕は「感動のない幸せ」はありえないと思っています。感動は幸せへの一部なのではないかと。だから、人を幸せにするのが困難なように、人を感動させることも難しい。

 僕は、思います。画家が絵だけをずっと描き続けても、歌手がずっと歌ばかり考え続けても、デザイナーが服だけを見続けても、小説家が小説ばかり読み続けても、人を感動させるモノはできない、と。画家には生活を味わう気持ちも必要だし、歌手は歌以外を楽しむことも必要で、デザイナーは人や周りを見ることも必要で、小説家も活字以外を飲み込む必要がある。オンリーワンでなく、必要なものはたくさんある。そういう風に。

 つまりは、人は多くのことを経験し、多くのバックボーンがないと、他者を感動させることなど出来ないと思うのです。専門以外の「何か」を知らなければ。その「何か」が無いと専門はうすっぺらい、単に技術の表面だけなぞった、いわば「はりぼて」にしかなり得ない。だから、僕は色々なことに手を出します。そして多くを学びます。忙しいですけど、面倒くさいこともありますけど。それもまた、一興。

 なんだか意味不明な文章になりましたが、そんな日もありますやね。哲学モードというか。本当はもっと考えているし、全然書き足りないけれど。でもそんな不十分なものでも、書きたい時がある、残したい時がある。そういうことですね。

 さて画像は、マルクスさんをちょちょいといじりましたが、意味はありません。なんとなく良い画像を模索していただけで……。自分で言うのもアレですけど、結構面白いコンセプトの画像になりましたね。内容を反映したと言うか、うん。

 感動と幸せ。最近、感動しましたか? 幸せ感じましたか? そんなことをふと想った、今夜でした。     circus

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